2020


ーーーー 7/7−−−− ズブ塗れの女性


 
梅雨の時期に限らず、外出中に思いがけない雨で濡れてしまうことがある。そんな時に思い出す光景がある。

 会社員だった頃、英国はマンチェスターに出張した。かの地は天気の変化が急激で、晴れいていたと思ったらすぐに雨が降ったりする。だから傘の携行を忘れないようにという注意を聞かされていた。

 ある日の朝、宿を出て仕事先へ向かった。歩いているうちに雨が降り出したので、傘をさした。雨足はけっこう激しくなった。道路の向うから、若い女性が歩いてきた。傘を忘れたのか、それとも濡れるのを覚悟していたのか、ともかく全身ズブ濡れだった。髪から足先まで、水滴が落ちるほどびっしょりと濡れていた。水を吸った衣類は体に張り付き、下が透けて見えるほどだった。

 しかし、困惑した様子も無ければ、恥ずかしそうなそぶりも無い。前を見据え、脇目もふらずに、毅然とした態度で、ぐんぐん前進していく。悲壮あるいはカタルシスというような言葉を思い起こさせる光景だった。その迫力に気圧されて、私には傘をさし掛けることもためらわれた。そんな他者の行為を受け入れる余地も無いくらい、彼女は独自の世界を展開していた。そして孤高のオーラに包まれながら、遠ざかって行った。

 あんなにズブ濡れになって、行き先でどうするのだろうか?と、余計な心配をした。手ぶらだったから、散歩でもしていたのだろうか。

 ともあれ、雨の中であれほど濡れながら、臆せず堂々と歩いた人間を、私は人生の中で彼女の他に見たことが無い。




ーーー7/14−−− 防災マップ


 
雨が激しく降っていた7月8日の朝、予定されていた市のイベントが中止になったとの連絡が入ったので、一緒に参加することになっていた近所のTさんに電話を入れてその旨を伝えた。こんな雨なら中止も当然だねという話から、九州が大災害に見舞われている話になり、この辺りは大丈夫だろうかという話題になった。

 この地域は傾斜地なので、水害の心配は無い。代わりに土砂崩れや土石流に襲われる可能性はある。Tさんが「防災マップではどうなっていたかね?」と言うので、私は「町内の一番上手のお宅のすぐ上まで、土石流の警戒区域が迫っていると記憶している」と答えた。そしてお互いに気を付けましょうねと言って電話を切った。

 その後、あらためて防災マップが気になった。上に述べた情報はだいぶ以前のものである。その後内容が変わっているかも知れないなどと思った。そのことを口にするとカミさんが「さいきん防災マップが来てたわよ」と言って冊子を取り出した。なんとタイミングが良いのだろう、と感じつつ、冊子を開いた。

 我が家に真っ直ぐ向かっている土石流の予想範囲の扇形は、確かに一番上手のお宅のすぐ上までが範囲だった。ところが、もっと広く見てみると、南側にもっと大きな扇形があった。それは天満沢という川を発生源とする土石流の予想範囲で、我が家は外れているが、電話をしたTさんのお宅をぎりぎりかすめ、さらに下流へ延びて、この町内にある住宅のほぼ全てを覆っていた。

 これは驚きの予想マップである。天満沢が里に向かって開いている場所から、扇形の先端までおよそ1500メートルある。傾斜は平均で7パーセントくらい。この程度の傾斜で、本当にこれだけの距離を土石流が下るのだろうか。その間に、松林もあれば、リンゴ畑もある。それらをなぎ倒して、土砂が地表を流れ落ち、覆い尽くすのだろうか。もしそれが本当に起こるなら、200件を越える家屋が、土石流に飲み込まれることなる。

 そんな馬鹿な、と感じる予想図である。このような図を描いて意味があるのだろうかとも思う。この図を見て、当該地域の住民が危機感を抱き、引っ越したり、土石流対策(そんなものが有るかどうか分からないが)をするとは思えない。また、警戒警報が出たので避難したという話も聞いたことが無い。

 しかし、全国を見れば、何十年に一度と言われる災害が、毎年のように発生している昨今の状況である。被災した人々は一様に「まさか」という言葉を口にする。防災マップ上の大きな扇形が、現実のものとなる日が、いずれは来るのかも知れない。

 この地は中房川の扇状地である。北アルプス山麓には、他にもいくつかの扇状地がある。扇状地というのは、川が氾濫を繰り返して流路を変え、そのたびに上流から押し出してきた土砂が堆積して出来た地形である。それは数万年というような長い年月をかけて進行した現象であるが、その時代には折々に極めて激しい降水などがあったに違いない。なにしろ川の流れが大きく振れ動いてきたのである。しかし現代人の目からすれば、そんなことが過去に起きたということはイメージできない。川はいつも一定の場所を流れているというのが、ごく普通の認識である。

 三角形の瓶に水を注ぐと、最後になって急に水位が上がり、あれよあれよという間に溢れる。まるでそれと同じように、人類の文明は加速度的に進んでいて、過去には想像も出来なかった局面になっている。近い将来に、ピユーッと行き着くところまで行ってしまうのではないかという不安を感じることがある。昨今の台風や豪雨の激烈さは、人類の文明がもたらした地球の温暖化に原因があるとも言われている。人類のペースに引きずられて、自然が数万年の時間を短縮してとんでもない現象を起こす恐れも、あながち架空の事とは言えないかも知れない。




ーーー7/21−−− 公園でチャランゴ


 
母の介護のため東京新宿へ出向いていた期間、暇な時間に近くの公園へ行き、チャランゴを弾いた。昼下がりの公園には、子供連れのお母さんたちや、中高生、お年寄りなど、さまざまな人々が佇んだり、散歩を楽しんでいた。

 ベンチに座り、楽器を取り出し、弾きはじめたが、周囲には何の反応も無かった。まあそんなものである。他人に聞かせるためではないので、そんな事は気にしない。私は、いつもと違う環境で演奏をする気分を、味わいたかっただけである。

 そのうちに、5歳くらいの女の子がやって来て、私の前でじーっと聞き始めた。興味津々という顔で、瞳がキラキラ輝いていた。そこに、その子のお兄さんとおぼしき小学生くらいの男の子が現れた。女の子に向かって「ギターの小さいやつだな」と、兄らしいコメントを発した。さらに「初心者用の楽器かな」と言った。ギターを習う際には、小さな楽器から始めるという勘違いをしたようだった。私は心の中で苦笑したが、黙って弾き続けた。

 別の日、同じ公園で弾いていたら、グラウンドの向こうに外国人が見えた。演奏に気付いたようで、こちらに向かって歩いて来る様子だった。そのうち姿が見えなくなり、気にも留めなかったが、突然後ろから「コンニチワ」と声をかけられた。知らない間に背後に回っていたのだ。そして「素敵な音色です。よく響きます」と言って、去って行った。

 私の演奏に反応をしてくれたのは、小さい子供と一人の外国人だけだった。




ーーー7/28−−− 出水騒ぎ


 
連休初日の昼ころ、工房にいたら、庭で孫とシャボン玉で遊んでいた娘が、「水が溢れてるってお母さんが騒いでるよ!」と大声で叫んだ。

 何のことか分からないまま、母屋に駆け込み、カミさんの声がする洗面所に入ると、床が水浸しになっていて、溢れた水が廊下まで進出しようとしていた。

 水道管が破裂したという状況が察せられたが、事態は一刻の猶予もならない。外へ飛び出して、いくつかある不凍栓を閉めようと試みた。該当する栓を閉めれば、水は止まるはずだ。しかし、いずれも動かない。

 「ダメだ、不凍栓が壊れていて動かない」と窓越しに言うと、カミさんが「水道メーターのところに元栓があるはずよ!」と叫んだ。庭の外れにあるその場所へ走って行き、メーターのマスを開けると、確かにバルブがあった。それをグイとひねり、母屋に戻ると、水は止まっていた。洗面台の中を覗くと、蛇口につながる配管に設置されたバルブのところでパイプが破損して外れていた。これは自分で直せるものではない。

 出水は収まったが、家の中の水道が一切使えない状況となった。馴染みの設備屋さんが豊科にあるのだが、今日は休日だから来てくれるだろうか。娘が「ダメ元で電話してみたら?」と言うので、電話をしてみた。すると聞き覚えのある声の男性が出て、休みだけど来てくれるという。助かった!

 1時間ほどして、設備屋さんが普段着でやって来た。現場に入ると、全く想定内というかんじで、手際よく修理を始めた。よくあるタイプの事故だそうである。長い年月使い続ける間にパイプが薄くなり、バルブにねじ込む部分で破断するという現象。その部分のパイプは、ネジ式で交換できるようになっている。

 不凍栓が動かないのも困ったと言うと、それもありがちな事であると言った。めったに操作することが無い装置なので、かじって動かなくなるケースがあると。それの修理は、穴を掘る大掛かりな作業になるので、ちょっと高くつくとのこと。ほとんど使う事もないので、そのまま放って置くことにした。

 30分ほどで修理は終った。修理代を支払い、丁重にお礼を述べて、缶コーヒーと寸志を渡してお引取りいただいた。

 企業だったら、休日に社員を派遣することなどありえないと思う。その点、個人でやっている店は小回りが利き、血が通った対応をしてくれる。有り難いことである。あのまま連休中に水道が使えなかったことを想像すると、ゾッとした。

 それにしても、メーターのところにある元栓の存在を、よくカミさんが知っていたものだと感心した。私は不凍栓しか頭に無く、それが作動しないのでパニックに陥っていたのである。あのまま水が出続けていたらどうなっていたか、想像するだけでこれまたゾッとした。